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大きな時代の変化の中にあって人はどうすればいいのか 幕末から明治を生き抜いた2人の男

福沢と同じく複式
簿記の重大さを知る

渋沢は一貫して第一国立銀行はあくまで「合本組織」(株式会社の意味)として、その資金は民間公募で設立されるべきだと信じ、「株主募集広告」のパンフレットまで作って広く配布もしている。そのパンフの序文に渋沢が銀行の社会的任務ならびに合本組織(会社)をどう考えていたかがうかがえる貴重な一文があるという。

その文章は現代人にはわかりにくい表現だったので、後年になって、渋沢の五男・秀雄氏が以下のように現代文に要約してくれている。

――そもそも銀行は大きな川のようなものだ。役に立つことは限りがない。しかし、まだ銀行に集まってこない金は、溝に溜まっている水やぽたぽた垂れている雫(しずく)と変わりがない。

時には豪商や豪農の倉の中に隠れていたり、日雇い人夫やお婆さんの懐に潜んでいたりする。それでは人の役に立ち、国を富ませる働きは現われない。水に流れる力はあっても、土手や丘にさまたげられていては少しも進むことはできない。

ところが銀行を立(建)てて上手にその流れ道を開くと、倉や懐にあった金がよりあつまり、大変に多額の資金となるからそのおかげで貿易も繁盛するし、産物もふえるし、工業も発達するし、学問も進歩するし、道路も改良されるし、すべての状態が生まれ変わったように良くなる――と。

まさに銀行を中心におカネが回らなければ経済は発展しないという資本主義の本質を渋沢が覚知していたことを示す一文である。金は天下の回りものというが、会社や庶民が懐に貯めこんでいたら、景気は上向かないし、経済は発展しないよと言っているのだから、冒頭で筆者がいうところのほんとうにすごい男がいたものである。

さて、山本氏は次のように解説している。

ここで日本最初の銀行が出発した。その経営を軌道に乗せるには「レール」が敷かれ、そのレールの上での運転の基本がなければならないがそれは何か。

必要なのは「大福帳」から脱皮して、近代的な「簿記」を採用し、これに習熟することが不可欠である。それにしても近代化における「複式簿記」の重要性とそれを普及させたところに渋沢栄一の大きな功績があるというのである。

なるほどと筆者は思う。福沢と渋沢のご両人は現代の高額紙幣「一万円」札の肖像画になる最もふさわしい人物かも。2024年からは現在の福沢の顔から渋沢栄一の顔に変わるそうだが、もっともかなと思っている。

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